スポーツボクシング伝説の世界チャンピオン白井義男編

白井義男

スポーツボクシングにおいて日本人初の世界チャンピオンとなった白井義男は1923年東京に生まれました。太平洋戦争の戦時下の1943年にデビューして8戦全勝の成績を残しましたが、海軍に招集され軍用機の整備士として終戦を迎えます。

復員後はボクシング界に復帰しますが、軍にいた時の仕事がもとで腰痛になり引退の危機を迎えましたが、その才能を見抜いた外国人コーチによって、長い手足と運動神経を活かした徹底的なガードと的確なパンチを当てるという防御主体という当時の日本での「打たれたら打ち返す」とは真逆のスタイルで1949年には日本フライ級王座、日本バンタム級王座の2つのタイトルを獲得して、それぞれ複数回の防衛もしています。

そして1952年5月19日には世界フライ級王座に挑戦をして、15ラウンドまで戦い、判定で勝利して日本人初の世界チャンピオンになりました。この試合によってスポーツボクシングが日本で始まったともいえます。

フライ級王座防衛を4度した後の1955年5月30日のリターンマッチに敗れたことで現役を引退しその後は実業家に転身して活動しました。2003年12月26日に肺炎のために80歳で亡くなりました。


ハングリースポーツボクシングのチャンピオンファイティング原田

ファイティング原田

ボクシングの世界チャンピオンは現在ではたくさん知られています。その中で世界ボクシング殿堂に入るほどの屈指の存在がファイティング原田です。

自身のジムではハングリースポーツであると唱え、近年は女子の銅メダリストを輩出しており協会の会長や最高顧問を務めています。

そして、今では史上初の三階級制覇を成し遂げた亀田興毅以前に幻となった三階級制覇が有名です。

その試合は次々と世界の名だたるチャンピオンとの挑戦に勝利し世界フライ級や世界バンタム級チャンピオンになりました。

ファイティング原田は減量問題により階級をフライ級、バンタム級、フェザー級へと上げていくことになり、特にバンタム級では黄金のバンタムと呼ばれるエデル・ジョフレとの激闘が世界で語り継がれる名試合になっています。

そのギリギリの劣勢の中での判定勝利の逆転劇や、一度は敗れた相手に再起して勝利するというまるで名作ボクシング映画や漫画の世界です。フェザー級の試合は世界王者に実質的には勝利であるはずの中で判定で負けてしまうというほど追いつめました。

実際に名作漫画の中でライバルが減量して主人公に合わせるための減量でモデルにして描かれています。その姿がストイックでハングリーなスポーツの精神を忘れず挑戦的です。

バンテージ

人気スポーツボクシングの伝説のチャンピオン海老原博幸について

海老原博幸

プロスポーツには様々な競技がありますが、プロボクシングは、常人では考えられないような攻防が観客を魅了する人気のスポーツです。過去には何人ものスター選手が観客を沸かせました。

海老原博幸は、記憶に残る伝説のチャンピオンのひとりでした。ボクシングとの出会いは運命的なもので、アルバイトの面接に向かった先の店主がその場でボクシングを始めさせたのが始まりのようです。

プロデビューは、1959年の9月2日です。翌年には東日本フライ級新人王の決定戦に望みますが、判定負けで初黒星を喫しています。その後は、1963年の3月まで29連勝という記録を残しています。

そして、1963年9月18日には、世界フライ級の王者に1ラウンドでKO勝利をして、チャンピオンとなりました。

海老原博幸選手の強打は「カミナリパンチ」と形容され、多くのボクサーから恐れられていました。天才的なリズムの良さとタイミングからくりだされるパンチです。

その強打は凄まじく、国内歴代2位のKO数を記録しました。また、メンタル面も強く骨折をしていても試合を投げ出さない精神力がありました。しかし、その強すぎるパンチ力のため拳を7回も骨折しています。2回目のタイトルを獲得した試合でも、途中で麻酔が切れた状態で最後まで持ちこたえました。

練習

記憶に残るスポーツ選手 ボクシングのチャンピオンの小林弘

小林弘

スポーツは自分で実践するとメタボ体型が解消できるなどで健康に良かったり、また自分が理想する体型に近づけるなどの効果がありますが、自分以外の人、特に優れた選手たちの試合やプレーを観戦するだけでも、感動できたり楽しくてストレスが解消できるなどの良い効果があります。

そして日本のスポーツの歴史の中には、多くの人がそのプレーに心を奪われた選手が数多く存在しており、中でもボクシングの世界には、多くの人に勇気と感動を与えて記憶に残っている偉大な世界チャンピオンが何人も生まれいてます。

WBA、WBCの世界スーパーフェザー級チャンピオンであった小林弘のその一人で、日本ボクシング界の黄金時代を支えた人物の一人として知られています。

小林弘は1944年に群馬県で誕生し、1962年にプロデビューするとその翌年には全日本ライト級新人王を、さらにその翌年には日本フェザー級の王座を獲得と、その実力を早くから発揮しました。そして1967年にWBA、WBCの世界スーパーフェザー級王座に挑戦し、KOで勝利を収めました。

その後当時では日本人記録となる6度の防衛に成功した彼は1971年に王座から陥落し、その年のうちに引退しました。彼は「雑草の男」の異名で親しまれ、その大きな武器であった強烈な右クロスカウンターは現在でもファンの語り草となっています。

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